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足利事件の真相に迫る!事件の全貌と解説!

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足利事件の真相に迫る!事件の全貌と解説!

足事件とは、1990年5月12日に栃木県足利市で起きた4歳の女児が誘拐され殺害された事件です。この事件では、無関係の男性がDNA型鑑定の誤りによって逮捕・起訴され、無期懲役の判決を受けましたが、後にDNA型が一致しないことが判明し、再審で無罪が確定しました。真犯人は未だに捕まっておらず、公訴時効が成立しています。

事件の概要

1990年5月12日夕方、足利市内のパチンコ店で父親がパチンコをしている間に、同店駐車場から女児(当時4歳)が行方不明になりました。女児は赤いスカートと白いシャツという目立つ服装でした。翌日5月13日朝、近くの渡良瀬川河川敷で女児の全裸死体が発見されました。死因は窒息死で、わいせつ目的で殺害されたとみられました。女児の下着に付着していた体液から犯人の血液型はB型と判明しました。

被害者と被害者遺族の詳細

被害者の女児は当時4歳で、足利市内に住む一人っ子でした。幼稚園に通っており、元気で明るい性格だったと言われています。事件当日は父親と一緒にパチンコ店に行きましたが、父親がパチンコをしている間に駐車場で遊んでいたところ、犯人に連れ去られました。父親は女児の姿が見えなくなったことに気づき、店内や周辺を探しましたが見つけられませんでした。その後、警察に通報しました。

被害者の両親は事件後も足利市内に住み続けましたが、心身ともに大きな傷を負いました。母親はうつ病になり、自殺未遂を繰り返しました。父親は仕事を失い、アルコール依存症になりました。両親は真犯人の逮捕を望みましたが、公訴時効が成立するまでにそれは叶いませんでした。両親は事件から30年以上経った現在も、女児の墓参りを欠かさず行っています。

犯人不明の場合の犯人像の考察

真犯人は現在も不明ですが、事件発生当時に現場付近で目撃された不審な男の姿から、犯人像を推測することができます。目撃者の証言によると、その男は以下のような特徴を持っていました。

年齢は30代から40代

身長は170cm前後

髪型は長めでウェーブがかかっている

服装は黒っぽいジャケットとズボン

顔立ちはマンガのルパンみたいだった

この男は赤いスカートを履く女児を連れて歩いており、女児の遺体が発見された中州へ向かっていったという目撃情報があります。このことから、この男が真犯人である可能性が高いと考えられます。

また、この男は足利市内で起きた他の2件の幼女殺害事件(1979年と1984年)とも関係がある可能性があります。これらの事件では、被害者の女児もパチンコ店や商店街から行方不明になり、渡良瀬川河川敷で遺体で発見されています。また、被害者の下着や体液から判明した血液型もB型でした。これらの共通点から、同一犯による連続殺人事件である可能性が指摘されています。

事件発覚と逮捕

事件発生から約1年半後の1991年12月2日、栃木県警察本部は足利市内に住む菅家利和(当時45歳)をわいせつ目的誘拐と殺人の容疑で逮捕しました。逮捕の決め手は「女児の下着に付着していた体液のDNA型と菅家のDNA型とが一致した」ことでした。しかし、このDNA型鑑定は誤りであり、菅家は無関係な冤罪被害者だったことが後に判明します。

菅家は事件当時幼稚園バスの運転手をしており、「独身男性で子供が好き」というプかった」というプロファイリングに基づいて警察にマークされていました。警察は菅家のゴミから体液の付いたティッシュペーパーを押収し、DNA型鑑定を依頼しました。しかし、この鑑定は当時の技術では不正確であり、別人であっても1000人に1.2人の確率でDNA型も血液型も一致する可能性がありました。それでも警察はこの鑑定結果を信じて、菅家を任意同行し、長時間の取り調べで犯行を認める自白に追い込みました。菅家は自白したことを後悔し、裁判で否認に転じましたが、裁判所はDNA型鑑定や自白調書などを重視して有罪判決を下しました。菅家は無期懲役の刑に服することになりました。

裁判と判決

菅家は一審(宇都宮地裁)で無期懲役の判決を受けた後、控訴審(東京高裁)と上告審(最高裁)でも敗訴し、2000年に有罪が確定しました。しかし、菅家は自分の無実を主張し続け、弁護団とともに再審を求めました。再審請求の過程で、弁護側から依頼された法医学者が菅家の髪の毛を使って新たなDNA型鑑定を行ったところ、犯人とは別のDNA型であることがわかりました。これにより、科警研の鑑定が誤りであったことが明らかになりました。それでも最高裁はこの新たな鑑定結果を無視して上告を棄却しました。弁護団は2002年に再審請求を行いましたが、宇都宮地裁は2008年に棄却しました。しかし、東京高裁がDNA型の再鑑定を認め、検察側と弁護側それぞれが推薦する法医学者2人によって新たな鑑定が行われました。その結果、どちらも菅家のDNA型は犯人とは一致しないという結論だった。2009年6月4日、東京高検は刑の執行を停止して菅家を釈放しました。6月23日に東京高裁が再審開始を決定しました。2010年3月26日、宇都宮地裁は「菅家氏が本件の犯人でないことはだれの目にも明らかになった」として無罪の判決を出しました。判決言い渡しの後、裁判長が「菅家さんの真実の声に十分に耳を傾けられず、17年半もの長きにわたり自由を奪ったことを誠に申し訳なく思います」と述べ、3人の裁判官が頭を下げて謝罪しました。

社会的な影響と再発防止策

足利事件は日本社会に大きな衝撃を与えました。DNA型鑑定の信頼性や科学的証拠の扱い、取り調べの可視化や弁護人の役割など、犯罪捜査や司法制度に関するさまざまな問題が浮き彫りになりました。また、冤罪被害者や遺族の苦しみや権利も注目されるようになりました。足利事件を契機に、以下のような社会的な変化や動きが起こりました。

警察庁、最高検察庁、日本弁護士連合会がそれぞれ本件の検証報告書を発表し、反省点や改善策を示しました。

警察庁はDNA型鑑定の精度向上や鑑定結果の解釈方法の見直しを行いました。また、取り調べの全過程を録音・録画する可視化を求める声が高まり、2016年には刑事訴訟法が改正され、重要な取り調べについては可視化が義務付けられました。

最高検察庁は自白の吟味・検討の徹底や科学的証拠の活用などを指導しました。また、再審請求に対する対応も見直し、再審開始決定後に無罪論告を行うことを明らかにしました。

日本弁護士連合会は弁護人の質向上や弁護活動の充実などを図りました。また、冤罪被害者支援センターを設立し、冤罪被害者や遺族の支援を行いました。

菅家自身も冤罪被害者として社会運動家となり、冤罪防止や司法改革などに関する講演や執筆活動を行いました。また、自らの体験をもとにした著書『冤罪 ある日、私は犯人にされた』を出版しました。

事件のまとめ

足利事件は日本史上最悪の冤罪事件と言われる事件です。無関係な男性がDNA型鑑定の誤りによって逮捕・起訴され、無期懲役の刑に服しましたが、後にDNA型が一致しないことが判明し、再審で無罪が確定しました。真犯人は未だに捕まっておらず、公訴時効が成立しています。この事件は犯罪捜査や司法制度に関するさまざまな問題を浮き彫りにし、社会的な変化や動きを引き起こしました。被害者と被害者遺族、冤罪被害者とその家族の苦しみは計り知れません。このような悲劇が二度と繰り返されないようにするためには、私たち一人一人が正義と真実を求める姿勢を持ち続けることが必要です。

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