おせんころがし殺人事件とは
1951年10月11日に千葉県鴨川市にある断崖、通称「おせんころがし」で起こった殺人事件です。
母親が1人の男に強姦され、母子3人が殺害されました。また、この事件の同一犯人の起こした合計7人の連続殺人事件の通称でもあります
この事件は、日本の死刑確定事件の中でも特に凶悪で猟奇的なものとして知られています。
犯人は栗田源蔵、秋田県出身の貧困家庭に生まれた後、北海道や静岡県などで暮らしていました。栗田は夜尿症やいじめなどで苦しんだ幼少期から性的倒錯を持ち、女性を強姦して殺害することに快楽を感じるようになりました。
栗田は1948年から1952年までに7人の女性や子供を強姦・殺害・死体遺棄したことが判明しています。
被害者と被害者遺族の詳細
おせんころがし殺人事件では、母親と子供3人のうち3人が死亡し、1人が重傷を負いました。被害者と被害者遺族の詳細は以下の通りです。
被害者 | 年齢 | 性別 | 関係 | 状況 |
A子さん | 30歳 | 女性 | 母親 | 強姦されて崖から投げ落とされ死亡 |
B子さん | 9歳 | 女性 | 長女 | 崖から投げ落とされ重傷 |
C子さん | 6歳 | 女性 | 次女 | 母親に背負われて崖から投げ落とされ死亡 |
D太郎君 | 4歳 | 男性 | 長男 | 崖から投げ落とされ死亡 |
A子さんは夫が行商に出たまま行方不明になったため、子供3人を連れて探す旅に出ていました。千葉県上総興津駅で栗田に声をかけられ、崖の近くにあるという夫の知人の家に案内されると信じてついて行きました。しかし、栗田は夫の知人の家など存在せず、崖の上でA子さんを強姦し、子供たちを次々と崖から投げ落としました。A子さんも最後に崖から投げ落とされましたが、崖の途中に止まりました。栗田は石でA子さんたちを殴打し、死亡させました。
B子さんは長女として母親や弟妹を守ろうとしましたが、力及ばず崖から投げ落とされました。しかし、B子さんは奇跡的に生き残り、隠れていたため栗田に見つからずに済みました。B子さんは翌朝になって救助を求める声を出し、通りかかった人に助けられました。B子さんは重傷を負いましたが、一命を取り留めました4。
C子さんとD太郎君は母親や姉と同じく崖から投げ落とされて死亡しました。C子さんは母親に背負われていたため、母親と一緒に崖から落ちました。D太郎君は最初に崖から落とされた被害者でした。
被害者遺族としては、A子さんの夫であるE太郎さんがいます。E太郎さんは行商で出かけたまま消息が途絶えていましたが、実は栗田の事件より前に交通事故で死亡していたことが後に判明しました。E太郎さんはA子さんや子供たちの死を知らずに亡くなっていたのです。
犯人の詳細と生い立ち、犯人遺族の詳細
犯人の栗田源蔵は1926年11月3日に秋田県雄勝郡新成村(現在の由利本荘市)の極貧家庭に12人兄弟の三男として生まれました。川漁師だった父親は病弱で、母親が家計を支えていましたが、典型的な「貧乏人の子沢山」でした。栗田は両親から放置されながら成長しました。
栗田は幼少期から夜尿症で悩まされており、学校では尿臭が原因でいじめに遭っていました。小学校を3年生で中退し、農家に下男として奉公するものの、やはり夜尿症が原因で嫌われて追い出されました。1年間に10回以上も奉公先を代わらざるを得なかったそうです。
19歳だった1945年に徴兵されて弘前の歩兵第31連隊へ入隊するも、ここでも夜尿症が原因でわずか2カ月で除隊となりました。この夜尿症は後の死刑執行直前ごろまで栗田を悩ませ、心身を蝕んでいきました。
終戦後は北海道の美唄炭かしこまりました。栗田源蔵の生い立ちと犯行の手口について続けて書きます。
栗田は北海道の美唄炭鉱で働くものの、夜尿症や性的倒錯により周囲と馴染めず、1948年に静岡県に移りました。ここで栗田は初めて女性を強姦して殺害するという凶行に及びました。その後も栗田は静岡県や千葉県などで女性や子供を狙って強姦・殺害・死体遺棄を繰り返しました。栗田の犯行の手口は以下のようなものでした。
- 犯行現場は主に山林や断崖など人目につかない場所を選んだ。
- 犯行時期は主に月末や月初めなど、給料日前後の金欠時期を狙った。
- 犯行方法は主に女性や子供を声かけて誘い出し、強姦した後に殴打したり刺したりして殺害した。また、死体を崖から投げ落としたり、土中に埋めたりして隠蔽した。
- 犯行動機は主に性的倒錯や殺人快楽だった。栗田は女性を強姦することで自分の劣等感やコンプレックスを克服しようとしたが、その後に罪悪感や恐怖心が生じたため、殺害することで証拠隠滅しようとした。また、殺害することでさらなる快楽を得ることができた。
栗田は自分の犯行を日記に書き留めており、その中で「女性は自分のものだから好きなようにしてもいい」という思想を表明しています。栗田は自分の欲望のままに女性や子供を殺害し、その死体に対しても冷酷な態度を取っていました。
栗田の家族としては、両親や兄弟姉妹がいますが、栗田が逮捕された時点ではほとんど連絡が取れなかったそうです。栗田は家族から愛情を受けず、家族からも見放されていました。栗田の母親は息子の逮捕を知ってショックを受け、自殺未遂を起こしました。栗田の兄弟姉妹も社会的な迫害や差別に苦しみました。
事件発覚と逮捕
おせんころがし殺人事件は、B子さんが救助されたことで発覚しました。B子さんは警察に犯人の特徴や言動を証言しましたが、当時は指紋採取やDNA鑑定などの科学捜査が発達しておらず、犯人逮捕には至りませんでした。
しかし、1952年1月18日に静岡県浜松市で起こった別の殺人事件が決め手となりました。この事件では、栗田が20歳の女性を強姦して殺害し、死体を土中に埋めました。しかし、この死体が偶然にも発見され、栗田の指紋が採取されました。この指紋がおせんころがし殺人事件の現場に残された指紋と一致したことで、栗田が犯人であることが判明しました。
栗田は1952年2月5日に静岡県浜松市で逮捕されました。栗田は自分の犯行を全て自供し、日記や被害者の衣服などの証拠品も押収されました。栗田は警察や検察に対しても冷静で無感情な態度を示し、自分の犯行に対しても後悔や反省の色は見せませんでした。
裁判と判決
栗田は1952年4月から1953年1月までに千葉地方裁判所と静岡地方裁判所で公判を受けました。栗田は自分の犯行を認めた上で、夜尿症や性的倒錯などの精神障害が原因で犯行に及んだと主張しました。しかし、精神鑑定の結果、栗田には精神障害はなく、正常な判断能力を持っていたことが判明しました。裁判所は栗田の犯行を「人間性を失った極悪非道なもの」と断じ、死刑判決を言い渡しました。
栗田は死刑判決を不服として控訴しましたが、1954年6月に東京高等裁判所で控訴棄却、1955年11月に最高裁判所で上告棄却となり、死刑が確定しました。栗田はその後も恩赦や執行猶予を求めて嘆願書を提出しましたが、いずれも却下されました。
栗田は1959年12月18日に東京拘置所で死刑を執行されました。33歳でした。死刑執行直前まで栗田は自分の犯行に対しても他人事のように話し、最期の言葉も何も残さなかったそうです。
社会的な影響と再発防止策
おせんころがし殺人事件は、当時の日本社会に衝撃を与えました。戦後の混乱期に生まれた凶悪犯罪として注目され、多くのマスコミが事件を報道しました。特にB子さんの証言や栗田の日記などは世間の関心を集めました。また、事件は映画や小説などの創作物にも題材として取り上げられました。
事件を受けて、警察や司法は科学捜査や精神鑑定などの技術や制度の改善に努めました。また、社会全体では性教育や児童福祉などの重要性が認識されるようになりました。
しかし、事件から70年近く経った現在でも、同様の性犯罪や殺人事件は後を絶ちません。
かしこまりました。おせんころがし殺人事件の社会的な影響と再発防止策について続けて書きます。
女性や子供を狙った性犯罪や殺人事件は、おせんころがし殺人事件だけではありません。近年でも、東京都足立区の小学生女児殺害事件や神奈川県相模原市の障害者施設殺傷事件など、栗田源蔵に匹敵するような凶悪犯罪が発生しています。これらの事件は、社会に深い傷跡を残し、被害者や遺族のみならず、一般市民の安全や人権にも脅威を与えています。
では、どうすればこのような事件を防ぐことができるのでしょうか。一つの答えとしては、犯罪者の早期発見と予防です。栗田源蔵も含めて、多くの性犯罪や殺人犯は、幼少期から夜尿症やいじめなどのトラウマを抱えており、その結果として性的倒錯や殺人快楽などの異常心理を持つようになります。これらの犯罪者は、自分の欲望を満たすために他人を傷つけることに抵抗感がなく、自分の行為に対しても責任感や罪悪感がありません。したがって、これらの犯罪者を早期に発見し、適切な精神医療やカウンセリングを受けさせることが重要です。
もう一つの答えとしては、被害者や遺族の支援です。性犯罪や殺人事件の被害者や遺族は、身体的・精神的・経済的・社会的なダメージを受けます。これらの被害者や遺族に対しては、警察や司法だけでなく、医療や福祉などの専門家やボランティアなどが協力して支援する必要があります。また、被害者や遺族の声を社会に届けることも大切です。被害者や遺族は自分たちの苦しみや願いを伝えることで、社会に対する訴えや提言を行うことができます。これらの声は、社会全体の意識改革や法制度改正などにつながる可能性があります。
事件のまとめ
おせんころがし殺人事件は、戦後日本を震撼させた凶悪犯罪です。栗田源蔵という男が女性や子供を強姦して殺害するという極悪非道な行為を繰り返しました。栗田は自分の欲望のままに他人を傷つけることに快楽を感じる異常者でした。栗田は死刑判決を受けて処刑されましたが、その後も同様の性犯罪や殺人事件は発生しています。
この事件から学ぶべきことは多くあります。犯罪者の早期発見と予防、被害者や遺族の支援、社会の意識改革や法制度改正などです。これらのことを実行することで、性犯罪や殺人事件の再発防止につながると考えられます。
参考になれば幸いです。ありがとうございました。