事件の概要
浦添市で発生した「浦添乳房切り取り〇人事件」は、1958年に沖縄で起こった衝撃的な事件です。この事件は、加害者であるAが、自身の妻B子を撲〇し、遺体から片方の乳房を切り取るという猟〇的な行動をとったことから、大きな注目を集めました。さらにAは、自らも命を絶とうとトラックに飛び込むも一命をとりとめ、「可愛いやつを〇した。俺もこの車で轢き〇してくれ」と叫んでいたと報じられています。
事件発生の前日、AはB子とともに林の中で夜を過ごしました。Aは、B子の遺体の皮膚に「スキ」という文字を刃物で刻み、その後、彼女の乳房を切り取ったとされています。その後、Aは近隣の親戚を訪れ、「一番可愛いやつを〇した」と話しながら、血まみれの乳房を取り出し見せつけるという異常な行動をとりました。
この事件は、当時の新聞でも広く報道され、「オッパイ〇人事件」といった見出しがつけられるなど、世間を震撼させました。
被害者と被害者遺族の詳細
被害者であるB子は、当時19歳の若い女性で、宜野湾村真栄原新町の飲食店で働いていました。報道によると、彼女はAによって「身請け」され、1万5千円の前借を支払う形で一緒に暮らし始めたといいます。
B子の両親はブラジルに移民しており、彼女は単身で沖縄に残されていました。貧困からくる事情もあり、彼女が働いていたのは売〇を伴う飲食店であった可能性が指摘されています。さらに、事件発生当時、B子は妊娠4か月だったことが分かっており、彼女の死はさらなる悲劇を生んでいます。
B子の死後、彼女の親族は事件の衝撃を受けるとともに、Aの異常な執着によって彼女の人生が翻弄されてしまったことに悲しみを抱えました。
犯人の詳細と生い立ち、犯人遺族の詳細
加害者であるAは、地元の地主の長男として生まれ、約8000坪の土地を相続していました。しかし、事件当時までにはその大部分を売り払い、生活資金を得ていたとされています。
Aには強盗、窃盗、傷害、暴行、放〇など、7件の前科があり、社会的には問題の多い人物でした。定職に就かず、犯罪を繰り返していたことから、家族との関係も悪化し、事件発生前には家族と縁を切る形で隣町の貸家に移り住んでいました。
Aの性格は極端な独占欲が強く、B子を異常なまでに束縛していたと言われています。買い物や入浴、わずかな外出にも同行し、B子が少しでもAのそばを離れることを極端に嫌がっていたとの証言があります。
事件の直前、Aは金銭的に行き詰まり、B子と心中することを決意。しかし、B子には心中する意思はなかったと見られ、結果としてAが彼女を〇害する形となりました。
事件発覚と逮捕
事件発覚のきっかけは、Aがトラックに飛び込み自殺を図ったことでした。トラック運転手の証言によると、Aは事故直後に「可愛いやつを〇した」と叫び、動揺した様子だったといいます。
その後、Aが親族の家を訪れ、血まみれの乳房を見せながら異常な発言をしたことで、警察が出動。すぐにAは取り押さえられ、事件現場へと案内されました。
林の中では、B子の遺体が発見され、事件の残虐性が明らかになりました。Aは逮捕後、取り調べに対し「B子を愛していた」「心中しようとしたが失敗した」と供述しました。
事件のまとめ
本事件は、Aの極端な独占欲と精神的な不安定さが引き起こした悲劇的な事件でした。B子はAを信じていたものの、結果として彼の執着により命を落とすことになりました。
裁判では、Aの主張が部分的に認められ、1959年2月27日に巡回裁判所で懲役4年6か月の判決が下されました。この軽い判決は、「承諾〇人」として認定されたことによるものでした。
Aは判決を「重すぎる」と不服とし、上訴を検討していたといいます。その後、Aが出所したのは1964年頃と見られていますが、彼のその後の消息は不明です。
この事件は、精神的な依存や束縛がもたらす危険性を象徴するものとして、今なお語り継がれています。