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「青物横丁医師射〇事件|妄想が生んだ凶行と医療現場の悲劇」

事件の概要

1994年10月25日、東京都品川区の京浜急行電鉄・青物横丁駅構内で発生した「青物横丁医師射〇事件」は、日本の犯罪史に残る衝撃的な事件の一つです。朝の通勤ラッシュ時、駅の改札口付近で医師が至近距離から銃撃されるという前代未聞の凶行は、当時の社会に大きな衝撃を与えました。

被害者は、都立台東病院の泌尿器科医長・岡崎武二郎さん(当時47歳)。腹部を撃たれ、緊急搬送されたものの、出血多量により同日13時35分に死亡しました。

事件発生直後、警察は岡崎医師の最後の言葉から、かつての患者であった野本正巳(当時36歳)を容疑者として捜査を開始。顔写真を公開し、全国に指名手配しました。その後、野本は母親に電話で犯行を告白し、埼玉県南浦和駅で逮捕されました。事件発生からわずか4日後のことでした。

被害者と被害者遺族の詳細

被害者である岡崎武二郎医師は、都立台東病院の泌尿器科医長として、多くの患者の診療に従事していました。医師としての経験も豊富で、同僚や患者からの信頼も厚かったといいます。

岡崎医師は、突然の銃撃によって命を落とし、残された家族や病院関係者に深い悲しみをもたらしました。遺族はメディアに対して多くを語ることはありませんでしたが、後の裁判において、岡崎医師の正義感や誠実な人柄が証言されました。

この事件は医療関係者に対しても大きな衝撃を与えました。特に患者とのトラブルがエスカレートした結果、命を奪われる可能性があるという事実は、当時の日本社会において大きな議論を呼びました。

また、岡崎医師が担当した患者や同僚医師たちは、「医療の現場では誤解や不満が生じることもあるが、暴力や殺〇が許されるものではない」と述べ、医療従事者の安全を確保する必要性を訴えました。

犯人の詳細と生い立ち、犯人遺族の詳細

野本正巳は、高校卒業後、技術系の専門学校を経て電気機械メーカーに就職。保守・点検業務に従事し、真面目な性格と評されていました。しかし、社交的な性格ではなく、悩みを抱え込みやすい一面があったとも言われています。

しかし、1992年頃から体調不良を訴え、岡崎医師の診察を受けました。当初は慢性前立腺炎と診断されましたが、後に鼠径ヘルニアと再診断され、1993年6月7日に手術を受けました。

術後、野本は睾丸の腫れや痛み、頭痛、不眠などの症状を訴えました。医師からは「異常なし」と診断されるも、野本は納得せず、異常感覚に囚われていきます。十数か所の医療機関を受診しましたが、どの病院でも異常を認められず、次第に「手術で人体実験をされた」との妄想を抱くようになりました。

1993年10月、自ら腹部をカッターで切り裂く行為に及び、救急搬送されます。診断は妄想性障害または精神分裂病(現・統合失調症)でした。その後、精神科での治療を受け、一時は症状が改善。しかし、1994年7月頃から再び「体内に異物がある」との妄想を強め、岡崎医師への恨みを募らせていきました。

野本の家族は、彼の精神状態を心配していたものの、彼の行動を完全に制御することはできませんでした。母親は後の裁判で「息子の異常を理解していたが、どうすることもできなかった」と証言しています。

事件発覚と逮捕

野本は事件の約2か月前から岡崎医師の行動を監視し、襲撃の計画を練っていました。最初はスタンガンや包丁を用意しましたが、体力的な不安から拳銃の入手を決意。暴力団関係者を通じて、トカレフと実弾を140万円で購入しました。

事件当日、野本は駅構内で岡崎医師を待ち伏せし、至近距離から発砲。犯行後はスクーターで逃走し、千葉県内の公園に銃を投棄。その後、関東各地を転々としながら、ワイドショーの報道に不満を抱き、自ら文書をテレビ局に送るなどの行動に出ました。

10月28日、母親に電話をかけ、南浦和駅で会う約束を取り付けました。母親が警察に通報し、刑事が駅で待機。野本はその場で逮捕されました。

犯罪心理学から見た詳細

この事件は、妄想性障害による被害妄想が引き起こした典型的な犯罪とされています。

  1. 妄想の深化 野本は、手術後の違和感を「医師による人体実験」と信じ込み、それを証明するために奔走しました。体感異常が続くうちに、妄想が強化されていったと考えられます。
  2. 合理的な行動と突発的な行動の混在 事件前、拳銃の調達や医師の行動監視など、野本の行動には計画性が見られました。一方で、銃の試射や手配書の拡散など、突発的な行動も同時に行われており、精神的な不安定さがうかがえます。
  3. 責任能力の有無 野本の裁判では、彼に刑事責任能力があったかどうかが争点となりました。複数の精神鑑定の結果、心神耗弱状態ではあったものの、善悪の判断能力はあるとされ、懲役12年の判決が下されました。

事件のまとめ

この事件は、医療と患者の関係、精神疾患患者への対応、銃器の流通問題など、多くの社会的課題を浮き彫りにしました。再発防止のためには、医療従事者の安全確保と精神疾患患者への適切な支援が不可欠です。本事件の教訓を忘れず、社会全体で取り組んでいく必要があります。

 

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