事件の概要
1985年5月から1994年3月までの9年間、大阪府内で5人の女性が殺害された「大阪連続バラバラ〇人事件」。犯人である鎌田安利(当時54歳)は、窃盗事件で逮捕された際に、過去の殺害事件の証拠となる指紋が一致し、連続〇人事件の全貌が明らかになりました。
被害者のうち4人は成人女性で、遺体はバラバラにされ、山中や雑木林に遺棄されていました。唯一の未成年被害者である9歳の少女については、遺体の遺棄方法が異なり、身代金目的の誘拐が絡んでいたことが特徴です。
鎌田は、盗んだ衣類や装飾品を売り歩きながら生計を立て、地元の飲食関係の女性たちと交流していました。しかし、些細なことで激昂し、暴力的な一面を見せることもあったといいます。
被害者と被害者遺族の詳細
最初の被害者は、大阪市東住吉区に住む主婦・東富佐枝さん(当時46歳)で、1985年5月28日に殺害されました。彼女は家族と離れて生活しており、立ち飲み店で働いていたところ、鎌田と知り合い、酒席の流れでアパートへ同行。しかし、口論の末に絞〇され、その後遺体はバラバラにされ兵庫県の雑木林に遺棄されました。
第2の被害者は、知的障害者施設を抜け出していた知念みどりさん(19歳)で、1985年6月に殺害されました。鎌田は彼女を食事に誘った後、アパートに連れ込み関係を持ち、金銭の要求をきっかけに絞〇し、遺体をバラバラにして奈良県の竹藪に遺棄しました。
第3の事件は1987年1月22日、大阪市住吉区の小学3年生・辻角公美子さん(9歳)が帰宅途中に誘拐され、アパートに監禁された後に殺害されました。この事件では、犯行後に身代金を要求する電話を5回かけるなど、過去の事件とは異なる動機が見られます。
1993年7月、鎌田はスナックホステス・須田和枝さん(45歳)を同じように自宅へ連れ込み、金銭の要求をめぐる口論から殺害。その後、遺体をバラバラにして箕面市の山中へ遺棄しました。
1994年3月、鎌田は飲食店員の中野喜美子さん(38歳)を殺害し、須田さんと同じ山林に遺棄しました。この遺体発見が事件の発覚につながります。
犯人の詳細と生い立ち、犯人遺族の詳細
鎌田安利は1940年7月10日、愛媛県大洲市で生まれました。実家は旅館経営をしていましたが、父の死後、家業は衰退。高校中退後、大阪に移り住み、板前として修業を積みました。
20歳で結婚し2人の子供をもうけましたが、妻と死別。その後、職を転々としながら子供を育てましたが、生活は不安定でした。大阪・西成区に移住後、飲食業の女性と再婚するも短期間で破綻。その後は、盗品販売で生計を立てながら、各地の女性たちと交際を重ねました。
鎌田は普段は陽気で愛嬌のある人物でしたが、気性が激しく、酒席での口論や暴力沙汰をたびたび起こしていました。犯罪を重ねるうちに、口論が〇人へと発展するケースが増えていきました。
事件発覚と逮捕
1994年4月、箕面市の山林で2人の遺体が発見され、大阪府警は広域重要指定事件として本格的な捜査を開始。捜査の過程で、鎌田が使用していたレンタカーの走行距離が遺棄場所と一致したことが決め手となりました。
1995年4月10日、鎌田は窃盗容疑で逮捕され、取り調べの中で過去の〇人事件への関与が浮上しました。さらに、1985年の知念みどりさんの事件で送られていた「怪人22面相」の挑戦状に付着していた指紋が、鎌田のものと一致。5月12日、鎌田は連続〇人事件について自供を始めました。
その後の取り調べで、鎌田は全5件の〇人を認め、公判へと進むことになりました。
犯罪心理学から見た詳細
鎌田の犯行は、以下の犯罪心理学的視点で分析されます。
- 衝動性と支配欲 鎌田は感情のコントロールが苦手で、些細なことで激昂し、相手を支配しようとする傾向がありました。
- 経済的動機と暴力性 被害者の多くは金銭を要求した際に〇害されています。鎌田は金銭のやり取りに強いこだわりを持ち、些細な要求でも激しく反応しました。
- 遺体損壊による犯行隠蔽 4件の成人女性の事件では、犯行発覚を防ぐために遺体をバラバラにし、複数の場所に遺棄する手口が用いられました。
事件のまとめ
「大阪連続バラバラ〇人事件」は、9年間にわたる連続〇人事件として日本の犯罪史に刻まれました。鎌田安利は2005年に死刑が確定し、2016年3月25日に刑が執行されました。
本事件は、加害者の衝動性や暴力性、被害者との関係性に基づく〇害の特徴を示しており、社会に与えた影響も大きなものとなりました。このような事件が再び起こらないよう、今後の犯罪防止策や支援体制の強化が求められています。